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:: 2011/6/15 水曜日::

■[漫画]英国人と未亡人と「乙嫁語り」3巻

乙嫁語り(3) (ビームコミックス)
著者/訳者:森 薫
出版社:エンターブレイン( 2011-06-15 )
コミック ( ページ )
作者サイト:ヘリオトロープ

二人目の乙嫁は5人の夫に先立たれた幸薄い未亡人のタラスさん。
そして相手はカルルクたちの客人であった英国の民俗学者のスミスさん。
スミスさんが案内人と待ち合わせに寄った市場で出会った二人が、
絡まり合う運命の果ての結末は…?

いつにも増して中央アジアの文化の違いにカルチャーショックを受けました。
夫に先立たれたらその兄弟に嫁ぐという風習に、
女は嫁に行ってなんぼであるという考え方。
そしてどんな人間性であれ、血が繋がってなくとも絶対的な父親。
そういった大なり小なりの文化の違いというものをまざまざと見せつけられましたね。

未亡人のタラスさんも可愛かったけど、捕まったスミスさんを迎えに来たカルルクに付いてきた、
アミルさんはもとより、更にその付き添いであったパリヤさんが可愛かったですね!
スミスさんとタラスさんのラブロマンスを目の前にして真っ赤になって倒れたり、
なし崩しに宴会になった市場の一角で不意に起こった縁談に恥じらったりと、
ホント可愛いよ、パリヤさん。

市場でのアミルさんたちの食事の内容だったり、
本当に細かい所まで読み込む面白さが詰まっていて最高に面白いです。
スミスさんとタラスさんの結末も含めて読み応えたっぷりなので、
じっくりと何度も読み返したいですね。

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 Comments (3)

3 Comments »

  1.  近所で売り切れていたので本日、メロンブックスに行ったついでにガッと新刊平棚から「乙嫁語り」を引っ掴んでレジを通し、急いで仕事に戻ってたった今、さぁ最後の直近納品も終わったので(しかも5月末、6月14日、6月15日とか悪魔な工程)、チョットしたご褒美に今からオフにして「乙嫁語り」の新刊、読もうと思ってメロンブックスの黒い袋から「乙嫁語り」を取り出しましたらアレレ? 表紙にアミルさんがいて山羊を肩に担いでますよ?

     ……二巻じゃんコレ!?

     まさか三巻の山に二巻が紛れ込んでいてソレを掴んだのかとレシートを確認してみましたら「乙嫁語り2」の表記。……マイガッ! まさか三巻の隣に二巻が積まれていたとは……!?(山に積まれていたのかそれとも紛れ込んでいたのか……) よって私、「乙嫁語り」の三巻は未だ読めないのでネタバレは頑張って避けながらフランさんの記事を読んでます!(涙) うう、明日、メロンさんに電話して、単に三巻の隣に二巻が積まれていただけならこの余った一冊、馴染みの古物商さんに色を付けて買い取って貰います……。

     
    >夫に先立たれたらその兄弟に嫁ぐという風習

     仰る通り色々な風習がありますよー。日本のその業界では常に羨望の的である一夫多妻ですが、逆に「一妻多夫」という風習もあります。特に有名なのはチベットですが、「複数の兄弟に一人の女性が嫁ぐ(父性一妻多夫制)」という風習で、実際には「一つの家督に一人の嫁、そして複数の兄弟から子供の出来、そして成人した順番に財産権を優遇する」という制度が多いのですが、この風習の利点は、

    a)人口拡大を防ぐ。
    b)一族としての繁栄を削ぐ変わり、一族の存続性に優れている。

     という主立った二点が挙げられますが、a)を社会活動が求める理由は大概が「生存環境が厳しく多産に恵まれても満足に子を養育出来ない」という理由から生まれます。人口増加が社会体としての衰退に繋がるからこその自然適合ですね。b)は確率の問題でして、出産を担うリソースとしての女性が複数男性に対して一人しか迎えられない場合、自ずと生殖行動に対しては慎重になります。故に為した子も極めて手厚く育てられ、必然と「限られた財産は強い子に優先して継がせる」という現実的な選択が現象として生じる訳です。後継として続くからこそ優遇制度でして、婚姻という行動が西欧の「恋愛という名の娯楽」という側面を持った現代社会に対して、コチラは何処までも実際的ですねー。結婚は欠片にも娯楽性があってはいけないので、よって宗教側面としても禁欲思想が尊ばれます。配偶者に対しての独占欲などあってはいけないのですね、風習として。

     よって、

    >女は嫁に行ってなんぼであるという考え方。

     という思想は、文化的な背景にも依りますが「人間も生物であるとする社会的側面からすれば実際的」ではあるのですよ。考えてみれば実に分かり易いお話しでして、「生殖活動に娯楽性を見出せば争乱、非道徳、繁殖による興行博打性の含有」という側面はどうしても意味合いとして生まれてしまうのですよな。そもそも社会体の存続は繁殖無くして継続できるはずもないので、極めて当たり前の事です。
     が、一方で、「唯、本能のままに疑問を挟まず生殖活動を行うのは果たして『人間』という生き物として正しいのか?」という疑問も無論ながら社会学、人類学の側面で生じます。

     さて、この辺りを分かり易くザックリ分類しますと、女性の一を重んじるのは何処までも社会性を重視する社会体で行われる事が多く(但し「婚姻関係」が概念として形成されている社会に限ります)、逆に男性の一を重んじるのは個人主義という社会通念が強いです。日本を見て頂いてもチョットだけお解り頂けると思うのですが、女性の主権が拡充しやすい社会というのはは個人より社会を重視します。逆に男女の性差として肉体的な側面から「生まれ持った差である」とする現実的な社会は、「女性として生まれた事が要因で、社会で剥落してしまった」という女性に対しては「女性として生まれた自分の運命を恨め」という一個人を重視した判断を下します。「女性だろうが男性だろうが一個の人間」という訳で、発生した社会体が父系社会か母系社会かというのは社会性を見てみれば一目瞭然だったりします。肉体面での差異が労働力に直結しなくなった現代での個人主義社会に男女差なんて本当に関係ありません(だからこそ「女性の権利」が叫ばれる訳でして、元々として婚姻制度が女性のセーフティネットとして働く社会体とそれらを混同してはいけません)。
     最終的な文化人類学、比較人類学観点からしますと「社会通念と真逆の制度を法として押しつけてしまうと、通念上の矛盾から混乱が生じて大抵は社会体が衰退する」のはこんな所が影響してます。比較人類学の仮説というのは実に現実的で、「論説を打ち立ててそうなったらそう」という部分がありますw

     
     ではでは「乙嫁語り」語りでしたー。ヒマラヤ山脈沿いの南北に位置する中央アジア(註:先述の通り、古来からの社会性を持った政権にて独立している国家に限定する)にはまだまだ、部落単位でそういう風習が残っているみたいですよー。ですからパリヤさんは私の嫁です。

    Comment by Mya — 2011/6/17 金曜日 @ 23:56:50

  2.  という訳で、改めて三巻を購入して参りました!
     ……面白かったーですッ。深いですなー物語が改めて深い! そして見せ方、具体的には「常識の差異」を際立たせるのが本当に抜群です森薫先生。

     改めて三巻を読みまして、概ねは上記の感じで補足になっていると思います、地域風習に於ける結婚意識の違いというモノについてですね。「親族と家父長制」という感じで論じられる事が大概ですが、「一族の財産は何処に帰属すべきか?」もコレ、かなり風習に左右されるので文化を知る事が出来ます。
     分かり易い例を挙げますと古代インカ帝国なんかですが、財産は「あくまで個人が稼ぎ出した富である」として「死語も故人に帰属する」という社会体系を取りましたが(遺産相続の根拠。紐解くと最終的には「インカ帝国の主神たる太陽神に帰属する」ので私有財産を許可したか否かについては論が分かれるのですが、この辺りの話はややこしいのでチョイとパス)、インカ帝国は権力者の死後、遺体をミイラに処して「ミイラに財産と権威を帰属させ」ました。コレは「王朝成立の権力者から続く果てしないピラミッド型の権力図」を描く事になりまして、同時に「現行即位の皇帝は先代の皇帝に絶対服従」という構図が出来まして、しかも「その先代である当人はミイラとして半永久的に遇される」のです。

     流石に家父長制についてインカ帝国の例を持ち出すと日本の常識としては大袈裟になるのですが、所謂「大なり小なり」ですね。……スンマセン長くなりました。

     
     作中に触れますと、何と本巻、具体的な地理が紹介されてますね! 正直、明確な地域はぼかしたままで終わるものと思っていたので嬉しい誤算です。今、二巻の私の書き込みを読み返しましたが、当たらず遠からずという感じですね。チョットでも知っている人間ならこの位は当たりを付けられるので、この先が難しかった訳です。
     この時代の刑事作法についても描写されていて面白かったですね。

    P.91「なかなか白状しませんで」。

     白状したら政治的に利用するなりしないなり、白状しないならするまで尋問するか拷問するかなりという意味です。今でも殆どの国家に於いて「治安維持組織には嫌疑を持たれた時点でアウト」なのが殆ど。俺達が法だぜー。

    P.97「とにかく領事館に連絡を……大使でも構いませんから」

     この通り、領事館と大使館は別物です。大使はその国に於いて自国の窓口として置かれるのに対し、領事は在外邦人の保護を主な業務とします。が、私も頻繁に間違えます。ですから大使館は通例として一つの国に一つしかないですが領事館は一つの国に複数、存在する事がありますね。

    P.103「付き添いです」「付き添いです!」

     この地域でコレは完全にお転婆といわれても仕方ないですわw 下手をすると自宅(或いは実家が所有する土地)と嫁ぎ先の家の中という二つの空間で一生涯を終える女性も珍しくない地域ですからねー。

    P.110「そうですね……じゃあ、ラクダ二頭と鞍とエサ、etc…」

     上記の通り土地に根付く一族が相当な権威と権力を持つ世襲制の世界で「有力者の客人を牢にぶち込んだ」なんて知れてはソレこそクビが危ないのです。よってそういう地域では権力者と友好関係を結ぶのが何より身の安全を保証してくれます。世襲制が悪いとか悪くないとか以前に「ソレを口に出来る土壌があるか否か」も勘案せねばならない訳です。善悪を問うのはその文化を突き崩せるタイミングにあって初めて出来る事で、更にその審判がどうかというのも実際には後世になってみないと判らない事が結構、多いです。

    P.128「あの方、ご旅行中ですもの。そんなふうに思われてもご迷惑でしょう」

     チョット穿った見方ですが、恐らく対照的なアリさんが登場されたのであながち外れでもないかなぁと思い敢えて野暮ったらしく言及してしまいますが、コレは「タラスさんのご実家が財産家だから」出た発言でしょうな。「財産があっても家を継ぐ子と家庭を築く夫がいない」ので、其所に折良く何のしがらみもないスミスさんが現れ、しかも人柄が良いという事で夫に求めた、という筋書きですが別にコレ、不思議な事ではなくてですね? 下手をすると嫁入りしたタラスさんが疫病神扱いされていてすら不思議ではないです……。
     そしてそういう婿の迎え方も不思議ではないのでアリさんはそういう発言をしていますな。そういう縁付きだと更に別の家に貰い手は、というのはかなり厳しいのですよ……。

    P.132 時計の蓋

     スミスさん家紋持ちか!? 実はこの方もこの方で偉いさんの可能性がありますねぇ……。紋章学は私、サッパリなのでパス(しかもアレ、面倒なんですよ←失礼)。お知りになりたい方はwikipediaでも触りの部分が見て取れますので是非。

    P.141「あ、そっか。女の人がいるんだっけか」

     女性の買い食いは、日本でも本来ははしたないんです。「満足に飯も与えない家なのか?」とか「出来合いのモノをフラフラと口にして歩くな、キチンと食卓で喰わんか」とか色々と。今は昔ですがねー。

    P.144 割れたザクロの実

     ザクロは昔から女性の果物。現代医学でも女性ホルモン分泌を促す作用があるとされていますが、そういう以前にそういう由来があります。私は好きですが、チョット視線が気になる(自意識過剰)。

    P.150 フタをして炊きあげる

     オゥどちらかというとパエーリャみたいなピラフっぽい作り方ですね。ですが日本語として該当するのは焼き飯が確かに正解なのでしょうなー(「ピラフ」を和製英語と考えた場合のお話しですね)。

    P.153 文化交流食卓図

     パネェ……。トルコにも腸詰めはありますのでこの地域でもあって不思議ではないですな。

    P.161「インドに一件、小さい別宅がありまして」

     という訳で、当時のインドは英領。そして地勢的な面にもう一点、触れるならロシアがまだ健在である事、そして日露戦争の前である事の二点です。日露戦争の後なら所謂「血の日曜日事件(西暦1905年)」でロシアはロシア革命の真っ最中。南下に兵力を裂く余裕はとてもありませんし、フィンランドなどに侵攻したときは逆に「ソ連」ですからね。
     しかし、「トルコ」とな。オスマン朝はもう当時、倒れてましたっけ? 中東史はサッパリなのでノータッチで。ペルシャもよく判りません。詳しい方、補足求む。

    P.205 お茶碗

     正確には「飯椀」或いは「飯碗」ですねー。「椀」と「碗」のどちらの字を当てるかというのは、器が陶製か木製かで決まります(無論、木偏の字がが木製の椀に用いられます。ですから「木碗」は間違い)。「湯飲み」が大抵、今は筒状なので「お茶碗」とで呼称を分けるのが贈答品のお店での慣わしみたいですかね? この「お茶碗」に木製の蓋を付けて茶托と組にして「一客」と数えますな。あまし有名でないですのであくまで蘊蓄。
     言語としてみれば、「茶碗」は「お茶を受ける為の碗」という使われ方ではなく「茶碗」という一つの特定名詞という意味ですなー。ですから特に湯水を入れて飲むお茶碗は「湯飲み茶碗」と称されます。
     恐らくそれ程、喧しくいうモノでもないでしょうね。

     
     しかし、スミスさんはこの先、どうなるのか……? そして全巻で区切りと思っていたカルルク、アミル夫妻が登場して凄く嬉しかったりします。
     しかし、恐らく三巻が発売されたばかりなのでまだ言及されていないと思うのですが、このお義母さんも本当に良い方ですなぁ……。家父長制の家庭に於いて家長の言が絶対だからといって、其所で個人的感情までが殺される訳でも無いのですよね……。

     ……あ、ついでです。

    P.35 脱穀の風景。

    P.46「いやそんな物ではないんですからくれるってからってもうらうってわけには」

     物ではないからこそ「幸せに慣れそうな場所」へ送り出してやりたいというせめてもの親心。

    Comment by Mya — 2011/6/18 土曜日 @ 23:37:03

  3. […] 「英国人と未亡人と「乙嫁語り」3巻」>● […]

    Pingback by ひとり立ちつくす - BliBlo — 2011/6/21 火曜日 @ 13:38:35

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